ほうちゃんの前庭障害の記事をひとつ前に書きました。その後も看病を続けていたのですが、一週間後のステロイド減薬を目前にして急逝してしまいました。薬のおかげか、首を振る動作も朝の投薬前だけとなり、徐々に良くなっていたように思われていたので、本当にかなしく残念です…。
以下、看病の記録です。
車酔い症状のためか、飲食が時々うまくできなかったようでしたので、一日三回、昼は勤め先から昼休みを使って自宅に戻りおかゆをあげて、朝昼晩、鳥用おかゆさんを食事の補助としてあげていました。投薬は朝ステロイド4滴、抗生剤は2滴を朝晩2回の投与でした。
初日9/11は朝のステロイド投薬後もしばらく首の動きが止まらず、昼もまだやや症状がみられましたが、夜にはほぼいつものようになってご飯を自力で食べたり、おうたを歌えるようになっていました。副食にあげた薄切りの梨もほぼ完食しました。
9/12は朝から頭はあまり動かなくなっていましたがいつも24~25gある体重が22.5gしかなく、飲水もできていない感じだったので、朝のおかゆを24gまでしっかりあげて水分を補給し、様子をみました。食べさせた後に酔いで気持ち悪いのか、うえっという感じで口を開けているのが可哀想でならなかったですが、先生いわく胃腸はしっかりしているとの事で、無理させずゆっくり時間をかけて少しずつ飲ませて、水分と栄養をおかゆさんでつないでいました。幸い薬が効いたのか、夜にはさえずりが戻ってきて自力でごはんもちゃんと食べられるようになり、体重も24gをキープできました。少し良くなってきたように見えました。梨も半分以上食べられました。
9/13は投薬前でもやっと頭の振りが小さくなり、お昼にはおかゆさんを美味しそうに食べて24.5gまで体重が戻りました。副食にシャインマスカットをあげていたのも美味しそうに食べていました。夜の体重は24g。
9/14休日。朝から良く歌って、自分でも梨もシードも結構食べていました。頭の振りは少な目で、良くおうたも歌っていて、はっきり段々良くなっているように見えました。ステロイドは強い薬なので、一週間経ったら減薬することになっていたので、それについて考えていたように思います。
9/15休日。朝の投薬前から頭の振りも少なく、おうたを歌っていました。ただ、お薬をあげる時に涙目になっているのが可哀想で「もうすぐ減薬だからね。頑張ろうね」と飲ませたのを覚えています。おかゆさんは朝昼あげ、血色も良く、梨もよく食べていたので昼から少し食材を買いに出かけ、帰宅。夕方抱っこした時に体重が23gで気になったので、飲水が上手く行っていないのかと思い、夜のおかゆさん(いつも寝る前にあげていました)前、あやめさんとむぎちゃんを放鳥する前に抱っこして育て親でお水を汲んで飲ませました。この時は血色もよく、良いふんをして、カゴに戻すと目の前でずっと機嫌良さそうに何度もおうたを歌って優しい目でこちらをみていたので「もうちょっとでおかゆさんだからね」と言って待たせてしまいました。30分くらいであやむぎコンビを戻し、ほどよくあたたかいおかゆさんと薬を持って「ほうちゃん夜のおかゆさんだよ」と手に乗せてカゴの外に出してみたら急に足がもつれ、立てない様子でびっくりして「どうしたの、ほうちゃん」と呼びかけたところてのひらの中ですぅっと眠るように目を閉じ、そのまま何度呼んでも目を開ける事はありませんでした。本当に、あっという間で、眠るようでした。カゴから手のひらに出して二分くらいの事で、それまで文鳥さんは何度も看取って来た経験がありますが、なんといいますか、ちっともそういう、亡くなるような感じが直前までなかったものですから本当に信じられない思いでした。
原因は不明です。
予後が悪い脳幹系の前庭障害(脳炎)だったのかもしれないし、他の要因があったのかもしれません。(解剖をお願いすればわかるのでしょうが、とてもできなかったのでした)
原因はわかりませんが、おかゆさんを待たせず、夕方の時点でもし早めにあげていたらもしかしたら助かったんじゃなかったろうか…だとか、最後の日になるのだったらもっとずっとそばにいて抱っこしてあげていたらよかった…と後悔が今も尽きません。
頭の症状自体は目に見えて良くなっていたように見えていたので、本当に残念です。
明後日には減薬もして、きっともっとよくなってこれからもずっと一緒に暮らすんだ、とそう思っていました。沢山泣きました。
翌日も休日だったので、実家の裏庭、歴代の文鳥さん達のお墓へ行き、姉うめさんと祖父きんたさんの隣に埋葬しました。その日は朝からの雨でしたが、埋葬した時は止んでいて暑くもない曇り空(変に暑すぎる9月でした)、そんなことはないのでしょうが、三連休の真ん中になくなるなんてまるでほうちゃんが最後まで気配りをみせてくれたように思って泣きました。ちいさなお花を沢山供えました。
文鳥さんはみんなそうですが、切実に、助けたかったです。
ただ、もうほうちゃんは目が回ってご飯が食べられないくらい気持ち悪いこともないのだとか、最後まで歌っていてご機嫌良さそうだったことだとか、最後の日にあげた季節外れの幸水を半分以上自分で食べていてくれたなあだとか、後悔しながらもそれはよかったなあと思ったり、
あの優しい、文鳥さんらしからぬような、深いまなざしを思い出したりしています。
本当に、おうたが上手で、文鳥と思えないくらい控え目で優しい心持ちの子でした。
いつもおうたを歌ったとき、おひなさんのころから「おうたありがとう」と声をかけ「おうた上手だね」「ほうちゃんのおうただいすきだよ」とずっと言っていたせいか、最後の時まであの綺麗な声で歌い続けてくれました。
どんなに手がかかってもいいから、ずっとずっと一緒に、これからももっとよぼよぼのおじいちゃんになるまでお世話させてもらいたかったです。
治してあげられなかったのは残念ですが、この記録が他の文鳥さんのお役にいつか立てるかもしれない、とこうして書き残しておきます。
どうかどこの文鳥さんもいつまでも元気で、しあわせでありますように。
我が家も残された子たちをこれからも、大切に大事にしながら暮らしていこうと思います。
綺麗なほうちゃんのおうたの動画です